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一○、母港佐世保へ

一○、母港佐世保へ

 四月八日未明、潜水艦の出没する海域を二度と見ることがあろうとは夢想
だにしなかった佐世保軍港に無事入港出来た。春の日ざしに色どる緑の島々
が美しく映える。そこで佐世保海軍病院に入院予報をする。私の緑色の軍服
も血潮で紅に染まっていた。桟橋に負傷者を連れていくと、海軍病院の副官
が飛んで来て、大和が沈んだ、との機密が漏洩しないように浦頭の方に入院
隔離をするように、といわれたので、私がブーゲンビル島から帰還し一時勤
務したことのある浦頭の海軍病院分院に廻航中、突然ズドンと音がした。そ
れは佐世保海軍工廠の鋳造工場に爆弾が落ちた音であった。

 修理のため、雪風は佐世保海軍工廠のドッグに入渠し、雪風の糧食庫の中
から不発のロケット爆弾が現れた。もしこの爆弾の信管が作動していたら、
艦底が炸裂して沈没したのではないか、雪風は何と幸運の艦であることよ、
としみじみ思った。

 司令塔の天蓋から、仁王の如き首を出して奮戦し、海戦史上に輝かしき功
績を残した艦長寺内中佐は、実は病を秘めて艦橋に立っていたのであった。
さすがの豪傑の寺内艦長も生死を共にした雪風乗員を前甲板に集め、しんみ
りと言葉も途絶え勝ちに、血肉を共にした将兵の労苦をねぎらわれ挨拶後、
皆の「帽振れ」の中を内火艇の人となり、佐世保海軍病院へ入院された。

sasebo

(現在の佐世保港)


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